「破線のマリス」/野沢尚(講談社・講談社文庫)

 これ、名前だけは前々から知ってたんですが…作者も作品もね。でも読む機会なくてズルズルと…。
 第43回(平成9年)江戸川乱歩賞受賞作品ですね。

 首都テレビの敏腕編集者・遠藤瑤子。彼女の切れ味鋭い5分間の特集映像は、看板ニュース番組『ナイン・トウ・テン』にとって、無くてはならないものとなっていた。しかし、放送ギリギリまで編集をし、新カットを挿入し仕上げる腕は見事ながら、現場を危機と戦慄に度々陥れる彼女を、快く思っていない者も大勢いた。
 ある日、事件を検証する特集映像内で、彼女が故意に挿入したあるカットのおかげで、結果として真犯人が捕まった。その後、彼女の元にかかってきた電話…電話の相手は郵政省の人間だと名乗り、彼女に郵政省の内部告発テープを渡したいと云う…。
 瑤子の編集した映像によって、家庭が崩壊し、旭川に左遷になった男、麻生。彼は瑤子に付きまとい、彼女に謝罪を求めてくる。そして瑤子のもとに送られてくる一本のビデオテープ…そこには彼女の普段の生活が映されていた。瑤子はそれを麻生の手になるものだと確信し、彼が真犯人に違いないとの確信を深めてゆく。

 なんていうか……主人公瑤子が感じる見られることへの「恐怖」、見ているものに対する「憎悪」というのが作中ひしひしと伝わってきて…しばしばぞっとしました。
 あと、普段何気なく見ているテレビ映像が、こうした少しの編集でどんな風にも操作できる…という事実に今更ながら気づかされました。百聞は一見にしかずといいますが、映像やメディアの有用さは、裏返せば恐ろしい凶器にもなるということですね。
 「ここに映っている私を疑ってください」という言葉が作中に出てくるのですが、私たちはただぼんやりと編集された映像を見ているだけではなく、それは編集者やメディア側のある意思や悪意に操作されていないか…ということを常々疑いながら見なければいけないなと、改めて思いました。
 
 一つ難をいうならば、主人公の瑤子に関してですが…ちょっと違和感を感じてしまったのは、私だけではないと思います。
 男社会で、編集の腕一本で生きてゆくことは、厳しかったろうしつらかったろうし……でもねでもね、子供を産んだ女として、「どうして離婚のときに子供を手放すことが出来ちゃったんだろう?」って…思ってしまった。そんなこと絶対出来ないと思うんだけどなあ…。やっぱりあれか? 筆者が男だから? そういう女性を書いちゃったんだろうか? …でもまあ、あそこで子供と別れてなかったら、こういう展開にはならなかっただろうし…ってことは、筆者の計算なの?
 でもねでもね…やっぱり釈然としないんだよなあ…。女の側が浮気して、男のもとに走った…とかいうんでなければ、親権は殆どの場合女親に渡るものでしょう?
 子供抱えて仕事しながら生きてゆく…方が、女としては奮起するものだけどなあ? 離婚の理由に「仕事がしたいから」ってのはないと思うよ……。どう、思われます??


破線のマリス

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